マイクロプレゼンス
昆虫とつきあいだしてからもう、60年以上になる。大部分の期間は、蝶の生態写真撮影を通しての活動だった。自然のなかで虫を追う楽しみ、撮影する楽しみは掛け替えのないものだった。生態写真撮影は、自然の中での昆虫の活き活きとした姿を作品におさめるのが目的だが、それに加えて、自然に対する知識を基盤とした推理の楽しみもあった。「この蝶は川沿いをおりてくる、あそこに好きな花があるから、そこで待てばよいとか、幼虫の食べる植物(食草)があるからあそこで待とう」など自然と対話を行う楽しみである。
マイクロプレゼンスは、このような経験をもとに生まれた。マイクロプレゼンスのコンセプトは、「日常的な環境の中に存在する小さなもの、肉眼ではその詳細を知ることが出来ない微細な構造を可視化して、その小さなものの存在を実感させる」というものである。
20世紀はインターネットに代表されるヴァーチャル世界の拡がった時代であると位置づけられている。一方で、実はリアル世界が拡がった方が重要だという考えもある。つまり原子・素粒子など、リアルな世界の物質を形成するミクロな世界の解明が進み、これをヴィジュアル化することに成功したし、DNAの発見もあった。また、マクロな世界も拡がった。宇宙誕生の謎に迫り、その解明への糸口をつかむとともに、人類初の月への到達など、数々の実績の積み重ねとそのヴィジュアル化がすすんだ。
これを「見えるもの」と「見えないもの」という分類で展望する。ミクロの世界は小さすぎて見えず、マクロの世界は大きすぎて見えない。この見えない世界を、科学は次々と解明し、また、ヴィジュアライズするための機器やソフトウェアを開発して、我々が日常認識していることとは全く異なった世界の存在を人々に知らせ続けてきたのである。
さて、では、その中間的なサイズの対象物は皆見えているかといえば、そんなことはないことはすぐわかる。われわれはその対象物が目の前に現れなければ認識することが出来ない。自宅の庭を見ていると想定してみよう。見えているのは、庭に咲く草花や植木などである。木の陰に何がいるのかもわからないし、塀の向こうに何があるのかを家の中からは見ることが出来ない。地中に何がいるかはわからないし、空を見上げれば、鳥や飛行機が見えるけれど、種類までははっきりしない場合が多い。我々が見ている範囲というのは想像以上に狭いのである。つまり人間が直接獲得可能な情報だけでなく、その裏に隠されたさまざまな情報が存在するということである。
それだけではない。見えているようだが、実は見えていないものも沢山ある。人間の視覚・聴覚などの五感は、脳が意識しなければ、認識されない。人間にとって、認識されないものは、存在しないのと同じである。通いなれた道の四季の移り変わりを楽しみながら散歩することもあるだろうが、大抵の場合通勤で急いでいたり、考えごとをしていたりして、周囲の状況をほとんど認識しないまま通り過ぎていることが多いのではないだろうか。つまり、見ているのだけど見えていない状態が日常茶飯事に起こっているわけだ。
古事記には、「草や木がそれぞれに言葉をしゃべり、国土のそこそこで岩や、木や、草の葉がたがいに語り合い、夜は鬼火のようなあやしい火が燃え、昼は群がる昆虫の羽音のように、いたるところでにぎやかな声がした」とあるという。これは「人間生活のすべて、生物も無生物も、それぞれに魂をもち、言葉を交わしている」と考えるアニミズム(精霊信仰)に通じる感覚である。我が国には、昔から八百万の神がすんでいる。確かに人を祭った神社も多いのだが、基本は「自然」に対す畏敬の念から発したアニミズム思想であることは間違いない。このような感覚は、現在でも日本人の大部分の人びとがどこかで共有しているのではないだろうか。
人類学者の岩田慶治は、一神教の神を「神」とし、アニミズムの神を「カミ」と呼ぶことを提唱して、アニミズムの重要性を説いており、「山河大地、草木虫魚としてわれわれをとりまき、その中から、突然、カミとして姿を現すアミニズムのカミ。そのカミをたずね、カミと出逢うためには、自然に対する原始の感情を持ち続けること、宇宙に開かれたカミの窓をもつことではないか」。そして、そのことは自然との付き合いを見直す上でも重要なことだと述べている。
日本には宗教がないとか日本人は信仰心が薄いとかいうことがよくいわれるが、これほど「カミ」に対する共通意識が残っている国は珍しいのではないだろうか。この珍しい国・日本は経済的に発展しているだけでなく、技術力に富んだ国でもある。21世紀は、間違いなく「自然との関係の見直し」を迫られる世紀である。経済力と技術力とカミへの共通意識をもって、地球上の人々が「宇宙に開かれたカミの窓」をもつことの手助けが出来たら、21世紀の最大課題解決へ、貢献出来るのではないかという思いがある。自然を理解・実感するための「窓」を提供したいという思いがある。
このコンセプトを実現するために、自然のおもしろさ、不思議さを知らせることを可能とする手法を考え続けてきた。自然のなかで見る昆虫は美しい。しかし、相手はすぐ逃げてしまうから、ゆっくりと観察することはむずかしい。生態写真は、その不満を解消してくれる。生態写真は自然を理解するための窓の一つなのだ。
昆虫の写真のなかには、標本写真もある。これまでの標本写真は、昆虫の種類を知るために使うもので、可能な限り多くの種数を掲載するために、一つ一つの個体は、小さく扱われることが多かった。すべての昆虫が、工芸品のような精巧な作りになっており、とても美しい。自然の芸術品といって良い。その美しさや驚きを伝えることが出来れば、生態写真とは異なる「窓」として機能するのではないか。そんな思いから、生態写真を離れ、昆虫の形態だけを正確に記録する作業を始めた。
ところが、小さな昆虫の写真を撮っても、焦点深度の関係で、一部分しかピントを合わすことが出来ない。それでは、昆虫の姿の正確な表現にはほど遠い。この問題を解決するために、ピントの合ったところだけを、コンピュータ上で合成したらどうかということを思いついた。それが、マイクロフォトコラージュの手法である。このサイトで紹介するのは、この手法を始め近年飛躍的に発達したカメラ機能(フォーカスブラケット)や広く普及しはじめた深度合成手法を駆使して製作した作品である。