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鎮守の森も、雑木林も豊かな植生と生物相をもっています。しかし、植生としては、両者は全く異なるものなのです。鎮守の森は、土着の植物に覆われていることが多いのです。信仰の対象という後ろ盾に守られた森は、人による伐採を許さなかったのです。いわば、鎮守の森は、ミニチュア原始の森なのです。潜在自然植生という言葉があるそうです。潜在自然植生とは、人間活動を停止したとしたときに、その土地の自然環境条件の総和が終局的にどのような植生を支えうるかという理論的な自然植生のことをいいます。つまり、森の生態を考えた場合、これに対して、もともとその土地に合った、植物群で林を構成すると、手入れをしなくても、一定期間の生存競争を経て、立派な林に成長するという。鎮守の森は正にそんな森なのです。一般論でいえばこの潜在自然植生を見つけるのはかなり難しいのですが、日本では、鎮守の森の植物がまず間違いなくこれに相当するのだそうです。

一方、クヌギ・コナラで形作られ、豊かな自然の象徴のようにいわれている武蔵野の雑木林も、潜在自然植生は常緑のシラカシの林だったのです。二次林である雑木林は、花粉症の原因となっている杉や檜の林と同じ(昆虫など生物層の多様性は、雑木林の方がはるかに豊かなのだけれど)なのです。このような、二次林は、手入れしないと森が消滅してしまうのだそうです。

なぜ日本には自然と共生するような中間的場所があるのでしょうか。日本人は、一木一草にも魂が宿るというアニミズムに通じる観念を共有しています。自然を敵とは考えず、むしろ畏敬の念を抱いてきました。西洋の人たちが昔抱いていた「自然への恐れ」を、今もって持ち続けているともいえるでしょう。その原因として、日本の自然は多様で強いということを忘れてはいけないと思います。台風はある、地震もある。多くの災害に毎年おそわれる国なのです。また、雨が多く、一度征服したように見えても、ほっておけばたちどころのうちに、自然に戻ってしまう強さも備えているのです。自然と人工的な都会という、二つの世界を考えた時、日本では、二者択一ではなく、自然に近い場所では、自然と共生しなければ生きていけなかったのではないでしょうか。

さて、鎮守の森、里山・雑木林とは、どのような場所なのかもう少し具体的に考えてみましょう。鎮守の森は、神社にある森です。われわれは、社がありそれを取り囲むように森があるというイメージをもっています。しかし、元々は、森自体が信仰の対象となっており、社は後に造られるようになったのです。一方、里山は生活の場です。生活の場と自然との間に、薪にするための植物を植えたのです。つまり雑木林は、二次林であり、いわば畑のようなものなのです。

 

前回、原風景について書きました。鎮守の森、里山・雑木林は、日本人の原風景としてよく取り上げられる場所です。鎮守の森、里山・雑木林とは、どういう場所なのか考えてみました。思い当たるのは、これらの場所が、人間と自然の境界であるということです。日本の特徴は、人間と自然の境界が明確ではなく、なんとなく互いの領域に、にじみだしているところにあります。そんな場所の典型が、鎮守の森、里山・雑木林なのです。

このような現象は、他の国ではなかなか見ることができません。人は、自然と闘い自らの人工世界を築いてきました。一般論でいえば、人類の行ってきたことはまさに「自然を破壊し、征服」することだったといえるでしょう。自然は敵だったのです。西洋での身近にある自然は、一度破壊した後自分で再構築した「飼い慣らされた自然」が多いのです。人類の自然破壊による地球規模の環境問題に直面した今、人類は、次の時代向かって自然との関係の見直しを迫られています。そうすると、手つかずの自然が何よりも重要視されるようになります。人工の場所と自然の場所が明確に区分されることが多いのです。

さて、「原風景」論議はこのくらいにして、我々現代人にとっての原風景について考えてみましょう。現代人のなかでも「故郷」をもたない都会人にとって「原風景」は存在しうるのでしょうか。岩田の定義による「原風景」は、「自然」と「幼少の時代の体験」が基盤となっており、自然の少ない都会人にとって、かなり厳しい状況にあります。戦後の焼け野原や所々に残る自然で遊んだ経験のある私には、それなりの「原風景」があるのですが、たまに実家に帰っても昔の面影をとどめる風景はどこにもありません。トンボを追った小川の護岸はコンクリートで固められ、水神のあったところは住宅地となって近寄ることさえできないのです。突如「原風景」が浮かんでくるような経験をしたことは残念ながらないのです。一方、木岡のいう「原風景」は、語りにより「すり込まれた」疑似体験を通して、すべての人がもっているといえるかもしれません。

のように、二人の立場はかなり異なっています。岩田が「個人」を重視するのに対し、木岡は、「日本人の原風景」という言葉で表せるようなもう少し一般的な概念を当てはめています。木岡は前述のように、「基本風景」という概念を提唱しています。「原風景」と関連するので少し説明しましょう。木岡は、「基本風景」について、「個人的体験をとおして、あらゆる行為に無言の指示を与える習慣こそが風景経験の根本的な核心であり、それは語られることのない風景である」というのです。このことから、木岡の「基本風景」が、岩田の「原風景」の定義に近いといえるかもしれないとおもいました。あるいは、「基本風景」は、岩田のいう「原風景」の「地」の部分であり、基本風景にさらに個人的な体験を図として付加する作業によって生まれるのが、岩田のいう「原風景」であるといえるかもしれません。


一方、木岡伸夫は、「生きられる風景は、次の三つの層から構成される。

 (1)沈黙のうちに生きられる「基本風景」

 (2)語られ表現される「原風景」

 (3)傑出した個性によって創出される「文化的表現」」といいます[。

風景全般に関する考察は別の機会に行うとして、ここでは、木岡の「原風景」に関する考えを紹介します。

木岡は、原風景について、「基本風景は沈黙のうちに日々生きられる。しかしその個人的な知覚の図式には、すでに何ほどか共同的な規範の影が射している。社会から独立した個人、歴史を超越した現在は、いずれも理論的仮説に過ぎない。ここでわれわれは、基本風景が必然的に社会的起源の風景経験に合流するという事実を正視しなければならない。基本風景を沈黙の深みから引き出し、それに意味の輪郭を与えるのは、言葉のはたらき、<語り>の力である。語りによって個人から集団の水準へと移行した風景の構造契機が、「原風景」 である。」と述べています。

岩田慶治によれば、原風景は、「図の部分:ミクロコスモスとしての自然の思い出、そこで幼時をともにした小さな生き物たち。地の部分:背景となる山や川、それも概念ではなく具体的に名前がわかるあの山、かの森、の組み合わせになっている。そして、その二つを結びつけ、そこに生きた画面を構成している驚き,恐れ、不思議、あるいは神秘感の存在が不可欠である。」という[]。そのルーツはほとんどの場合子供の頃に構築されたものであるといいます。そして、後年それに新しい経験も追加されて再構成されるのだというのです。

一方、木岡伸夫は、「生きられる風景は、次の三つの層から構成される。

 (1)沈黙のうちに生きられる「基本風景」

 (2)語られ表現される「原風景」

 (3)傑出した個性によって創出される「文化的表現」」といいます。

風景全般に関する考察は別の機会に行うとして、ここでは、木岡の「原風景」に関する考えを紹介します。

木岡は、原風景について、「基本風景は沈黙のうちに日々生きられる。しかしその個人的な知覚の図式には、すでに何ほどか共同的な規範の影が射している。社会から独立した個人、歴史を超越した現在は、いずれも理論的仮説に過ぎない。ここでわれわれは、基本風景が必然的に社会的起源の風景経験に合流するという事実を正視しなければならない。基本風景を沈黙の深みから引き出し、それに意味の輪郭を与えるのは、言葉のはたらき、<語り>の力である。語りによって個人から集団の水準へと移行した風景の構造契機が、「原風景」 である。」と述べています。


拉致被害者の曽我ひとみさんが帰国したときの言葉、

「皆さん、こんにちは。24年ぶりにふるさとに帰ってきました。今、私は夢を見ているようです。人の心、山、川、谷、みな美しく、温かに見えます。空も土地も木も、私にささやく『お帰りなさい、がんばってきたね。』だから私もうれしそうに、『帰ってきました。ありがとう。』と元気に話します。皆さん本当にどうもありがとうございます。」

に、忘れていた何かを思い出した人は多いでしょう。「うさぎおいしかの山、こぶな釣りしかの川」のあの故郷なのです。


 さて、聖地に付加された情報が重要なら、それを移動すれば「聖地が移動」することも夢ではありません。現にチューリンガには携帯可能な聖地としての機能があります。ところが、中沢新一も「聖地は移動しない」といいます。「聖地という場所は、この世の中にある空間でありながらこの世の空間でないような、一種の特異点みたいなものです。だから、聖地と呼ばれる所に入っていくと、ちょうど『ふしぎな国のアリス』みたいに、時間や空間などの感覚が今までの世界とはちょっと違った状況になってきます。・・[4-10]」というのです。始めに述べた「聖地の定義」のうちの「場所が特別」という要素も重要だというのです。

 このように、「聖地を移動」させるのは、容易なことではないようです。聖地を移動させたいのなら、「移動してきた聖地が自分のそばにあるような感じ」を実現するというのが目標になりそうです。そのためには、聖地を特別な場所にしている「場」の情報の獲得と、人間が感じたり理解したりできる形式での出力方法の開発が課題といえるでしょう。

 二つの聖地の定義は、「自然な場所の情報」と「人が付加し記号化された場所の情報」という二つの要素が、「場所」にあることを示しています。そしてそれは、「場所」に関する情報の一般解として拡張できると思うのです。


1998年4月、NTTインターコミュニケーションセンター(ICC)で、「移動する聖地 ― テレプレゼンスワールド ―」展が開かれました。そのねらいは、「遠隔操作技術と仮想環境技術を人間の原始的な想像力や記憶、野生性と結びつけ、来るべき時代のヴィジョンを導き出す[4-5]」ことにありました。テレプレゼンスについては、別の機会に詳しく述べるとして、ここでは「聖地は移動するか?」ということを課題に考えてみたいと思います。