Booksの最近のブログ記事

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著者:加藤文俊

出版社:慶應義塾大学出版会

出版年:2009


21世紀はヴァーチャルの背かとリアルの世界を結びつける時代。GoogleMap、セカイカメラなどツールは充実し始めた。さて、それらをどう使うのか。著者は「キャンプ論」という名称で、フィールドワークの新しい手法を提案する。この方面の研究に興味のある人だけでなく、一般の人たちにも活用可能な多くのヒントがある。

心に残る一文:暮らしのなかのフィールドワークは、あたりまえとなった毎日の生活を、一歩引いた立場から見直す機会をつくる。それを習慣づければ、私たちは、人びとの微細なふるまいにも気づくようになり、自分をとりまく環境への関心は、結局のところ、自分自身に対する感受性をも高めることになるだろう。 155頁
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著者:高橋敬一

出版社:祥伝社

出版年:2009

この種の題名の本は注意が必要。だが、この本はなかなかおもしろかった。結論は、人間の本能が自然との共生を不可能にしているという夢のないものだが、私の気持ちと同じのは、「自分の価値基準を他人に強制しない」ということ。
自然保護を否定するものではないが、あくまで、その人の極く狭い経験からの意見であることを自覚した上でやってほしいと、この本の筆者は述べる。

心に残る一文:価値観の数だけ異なる自然が存在していることを意識せず、なによりも「私」が大切に思う自然を守れと叫び、それが全ての人にとっても重要であると考えるのが「自然との共生」思想を生み出した本能的考えである。 175頁
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著者:加藤秀俊

出版社:中央公論社

出版年:2009


メディアの原型は聖と俗をつなぐ「霊媒」にあるとして、日本各地を訪ね、今に残る歴史を探索する。内容は高度だが楽しい本。加藤秀俊先生が楽しんでいる様子が、全編から伝わってくる。つまり、究極の「ブラタモリ」だと言ったら、加藤先生に怒られるか。知識は人生を豊にするとつくづく思い知らされる。こういう風に年を重ねたいが、浅学の私ではとても無理か。


心に残る一文:一遍をはじめとする遊行上人たちが全国でおこなったおどりと念仏は、いつしかそれを経験した民衆に鮮烈な記憶としてのこり、それを盆行事の不可欠の一部とするようになったのである。

「踊り」という身体運動をつうじて「カミ・ホトケ」とりわけ祖霊を祀り、また祖霊と交信することが可能である、という思想が「盆」行事と重なって「盆踊り」は全国いたるところでおこなわれるようになったが、この習俗はそんなにふるいものではなかった。はっきりいって、それは十三世紀のおどり念仏が直接的な契機になってうまれたものなのである。


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著者:中沢新一
出版社:集英社
出版年:2002

中沢新一が、9.11にショックを受けて書いたという。「圧倒的な非対称」、「緑の資本論」、「シュトックハウゼン事件」の3章からなる。いずれも現代の問題をこれまでとは異なる視点から分析している。

心に残る一文: イスラームは、いかにも「最終・至高の一神教」らしく、利子(利潤) の発生を倫理的禁止という形を通して抑制しょうと試みてきた。そのために、その世界では資本主義の形成が、長いことおこらなかった。利子は資本主義の原子である。この原子を発生の段階で抑制する「分子レベル」の改革を通して、イスラームは貨幣増殖を基本とする資本主義社会の出現を、押しとどめてきた。
 ところが、同じ「アブラハムの宗教」である一神教の立場に立ちながら、キリスト教世界では、生産力の増大と商業活動の活発化が本格化しはじめる十三世紀以降になると、利子・利潤の獲得に対する抑制を、教会が急速に弱め始め、そこから本格的な資本主義の形成への道が開かれるのである。これはたんにイスラーム圏ではおこらなかった宗教の影響力の低下が、キリスト教圏ではおこった、というにすぎないのだろうか。それとも、キリスト教の思想構造の内部に、自己増殖をおこなうものの活動を容認するような可能性を秘めたなにかの要素が、はじめからはらまれていたためだろうか。
(68頁)
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著者:Edward O. Wilson
訳:大貫昌子、牧野俊一
出版社:岩波書店
出版年:1995

生物研究の大御所。多様性に興味のある人必見。

心に残る一文:生命は五つの大きな出来事によって減少し、その他にも軽度ながら世界中のあちこちで無数に起こった出来事によって痛手を負った。だがそうして減少するたびに生命は再び盛り返し、少なくとも以前どおりのレベルの多様性は回復してきた。第一級規模の突発的絶滅のあと、減少が復旧するまでの進化にはいったいどれくらいの時を要したのだろうか?それを推定するにあたり、海に住む動物の科の数は、存在する化石の証拠を基にするのと同じくらい信頼できる尺度である。一般的に言うと、回復への強力な第一歩を踏み出すだけでゆうに五〇〇万年はかかった。五回の大量絶滅のたび、それから完全な回復までには何千万年もの年月がかかった。個別に見ると、オルドビス紀の絶滅のあとは二五〇〇万千、デボン紀には三〇〇〇万年、ペルム紀と三畳紀(この二つの間隔は非常に近いので一つにまとめた)には一億年、白亜紀の絶滅のあとには二〇〇〇万年、かそれぞれかかっている。これらは人類(ホモ・サピエンス)が破壊したものを自然が必ず補充してくれるものだと信じ込んでいる人々を、しぼし考えさせる数字であろう。なるほど自然は失われたものを補ってくれるかもしれないが、現在の人類にとって意味のある時間内にはとても間に合いそうにない。
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著者:岩田慶治
シリーズ:講談社学術文庫864
出版社:講談社
出版年:1989

アニミズムの興味をもって勉強しだしたころ出会った本。日本人は無宗教というが、これほどカミに対する感性を持っている国民は珍しいのではないか。自然の強い國ならではのことだと思う。

心に残る一文:カミと神と、私はどちらをえらんだらよいといっているのではない。人類が長い歴史のあいだに苦難の日々を重ねながら信仰しつづけてきた一神の姿を、尊いものと思っている。しかし同時に、山河大地、草木虫魚としてわれわれをとりまき、そのなかから、突然、カミとしての姿をあらわすアニミズムのカミにも、言葉でいいあらわせない親しみを感じている。このごろ、自然保護がつよく叫ばれているが、そのさいもっとも大切なことは、自然に対するこういう原始の感情をもちつづけることではなかろうか。
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著者:池田清彦
シリーズ:新潮選書
出版社:新潮社
出版年:1992

生物の分類は科学的根拠からなされていると信じていた。勿論そういう要素あるのだけれど。著者は、「思想が介在している」と指摘する。意表を突かれ、とても新鮮な気持ちになった。

心に残る一文:人間の認知パタンから自由である限り、すぺての対象は同じ位似ている。太陽も金魚も人間も石ころも同じ位似ているのである。このことを厳密に証明したのは波辺慧で、アヒルと白鳥の間の類似度も、二羽の白鳥の間の類似度も同じことから、これを「みにくいアヒルの子の定理」という(たとえば、渡辺慧「知るということ−−認識学序説」、東大出版会などを参照)。この定理が意味することは明白である。人間の認知パタンから独立した客観的な性質をことごとく選んで、それらを等価とみなす限り、そもそも分類という営為は成立しないのである。逆に言えば、分類することは重要な基準を選ぶこと自体なのだ。ア・プリオリに重要な基準などはない。従って分類することは世界観の表明であり、思想の構築なのである。(68頁)
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著者:チャールズ・ダーウィン
訳者:渡辺弘之
出版社:平凡社
出版年:1994

ダーウィンの偉大さを思い知った書。ミミズの働きを、30年にわたる実験で実証している。誰が、ミミズのこんな力があることを考えただろう。自然が大きなシステムとなっており、人間もその一員に過ぎないのだということを感じた。

心の残る一文:砕いた大量の白亜を、私の家の近くの牧草地の一画に1842年12月20日にまいた。
そこは30年以上は確実に、おそらくはその二、三倍の年月にわたって牧草地であった。白亜をまいたのは、それが将来どのくらい深くまで埋められるのかを観察するためであった。1871年2月の終わり、すなわち、29年後に、一本の溝をこの一画を横切るようにして掘ったところ、白い小さな団塊からなる一本の線が表画から7インチの深さのところの、溝の両側に見つかった。ということは、肥沃土は(芝を除いて)一年に0.22インチの平均速度で持ち上げられたことになる。(129頁)
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著者:養老孟司 
出版社:青土社 
出版年:1989

脳ブームのきっかけとなった書。私にとっても養老さんとの出会いのきっかけとなった書。養老フアンならずとも、一度は読んでおきたい。

心に残る一文:社会は脳の上に成立し、個人は身体の上に成立する。それはあまりにも当然のことである。しかし、社会が個人の集合によって成立するというのは、この国では「お題目」に他ならない。個人が身体性によって成立する以上、この国には神風特別攻撃隊ならあるが、「個人主義はない」。個人主義とは、個人がわがままだとか、勝手だとかを意味するわけではない。身体性の認知の問題に過ぎない。われわれの社会は、明らかに身体性に関して弱点を持っている。それでは社会に困難が生じる以上、かってはそれを捕強する多くの「教育」があり、「白然の力」があつたのであろう。しかし、いわゆる「伝統的」な社会の訓練は、日々失われていき、白然はかっての力をもはやまったく失った。(263頁)


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著者:小坂井敏晶
出版社:東京大学出版会
出版年:2002

民族のことを勉強し始めた時であった書。刺激的な言葉を随所に発見して、一気に読んだ。若い人に読んでほしい書。

心の残る一文:どんな社会でも「異人」を内部に抱えている。それは彼らの存在こそが人間の同一性を生み出す源泉をなすからだ。「異人」のいない社会では人間は生きられない。もし<純粋な社会>が樹立されたとしたら、人間はどんなことをしてでも「異人」を捏造することだろう。「異人」は我々の外部にいるのではない。「異人」は人間生活にとって不可欠な存在なのである。
「異人」の消滅が不可能なのは異文化受容や同化に限界があるからではない。言語・宗教・道徳価値・家族観などを始め、どんな文化要素でも時間と共に必ず変化してゆく。民族や文化に本質はない。固定した内容としてではなく、同一化という運動により絶え間なく維持される社会現象として民族や文化を捉えなければならない。あるいはこう言ってもよいだろう。もし文化と時代を超えて人間存在を貫く本質があるとすれば、それはまさしく、本質と呼ぶべき内容が人間には備わっていないということに他ならない、と。(191頁)