風景とは (3)

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moniment.png このようにみてみると、風景とは、「環境という客観的に評価しうる対象に対する人間の解釈」ということができそうです。興味深いのは、その評価の根底には、風土がある、つまりすべてが個人で決まるわけではなく、国や文化により風景の評価は異なるのだということです。このことを別の角度から解釈したのが、第4回に紹介した、「風景は「基本風景」、「原風景」、「文化的表現」の3層からなる」という木岡伸夫[安彦一惠 佐藤康邦編、「風景の哲学」、叢書【倫理学のフロンティア】XI、ナカニシヤ出版、2002の38頁]の説なのです。
たしかに、富士山を見てきれいだと思います。しかし、それは本当に自分がそう感じているのか、文化的背景により、そう思うようになってしまったのかの区別は難しいところです。私の場合、虫を追いかけて自然の中にいると全く予想もしなかった光景に出会い感動することがあります。そのような感情は本物のような気がします。しかし、それも自分が安全でありその美しい光景が自分に災いを起こすことはないこと知っているから、環境を風景としてみることができるのだといわれれば、そうかもしれませんねと答えるしかありません。
さて、われわれは、風景というとどうも「視覚」中心に考えがちです。それはもしかしたら、我々が風景の多くを「写真」をとおして見ているせいかもしれません。風景写真は至る所に存在します。これでもかこれでもかというように、「美しい風景」をたたき込まれます。養老孟司がいっているように、「視覚は多様性を認識し、聴覚は筋書きを認識する」のです[養老孟司「脳が読む」、法蔵社、1994の137頁に以下の記述がある。 脳でいえば、筋善きは「耳のもの」であり、多様性の認知は「目のもの」である。「絵解き」というくらいで、目には本来、筋書きはない。絵に筋書きがあれば、絵解きはもともと不要なのである。生まれつき耳の間こえない人たち、こうした人たちが、もっとも難渋することはなにか。それは因果関係の理解である。あるいは、疑問文という形式の理解である。]。静止している音はありません。風景の現場にいる人は、視覚情報だけでなく、聴覚・触覚情報などを総合的に認識しているのですが、最も広く共有されているメディアである印刷物では、時間軸のある情報を伝えるのは難しいのです。前述の風景を美しいと感じる文化的背景に写真という存在があるのかもしれません。

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