虫と人間(1)

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われわれ人間は五感で環境を認知している。それが自分の周り環境の全てだと思いがちだが、それが違うことはすぐわかる。認知できるのは一部だけである。しかし、我々のまわり広がる異空間の存在を認識している人は少ない。昆虫の世界である。昆虫は地球上に遍在している。つまり昆虫は何処にでもいる。しかし我々人間はそれを認識することは少ない。認識するのは、我々の生活空間にも侵入してきた時である。人間の生活空間は人工空間である。特に都会で、人工空間に昆虫が入り込む(ゴキブリ、アリ、ハチ)と大騒ぎになる。人工空間では、自然も管理されたものでなければならないのだ。それでも、昆虫は人工空間に入り込む。それはそうだろう、人間の住む空間よりも遙かに広い空間に昆虫はいるのだから。人工空間は自然空間の一部でしかない。そして、そのことを都会の人間はほとんど意識しない。

地球上に棲んでいる昆虫の種数については、様々な意見がある。1千万種を中心に、数百万種から1億種までその範囲はあまりにも広い。つまり、余りにも多くてよくわからないというのが本当のところなのだろう。名前が付いているのが約百万種で、毎年三千種ぐらいが新種記載されているという。新しく種が生まれたわけではなく(多分生まれていない)未知の種が発見されているのだ。(ちなみに人類は種のレベルでいえば、一種である。)そして、その生態/形/色などは実に多様である。昆虫が生き残った理由はこの多様性にあるといって良い。つまり、大きな環境変化が生じた際、それを克服して生き残る確率が高くなるのである。

こんな昆虫と付き合っていると人間のわかっていることなどほんの一部であることがわかる。われわれは、自分中心に世界を見ているのだが、遙かに大きな自然空間が存在している。養老孟司のいう、「都会は、ああすればこうなる社会」と180度異なる世界が、我々の周りにも存在する。ああすればこうなるだけの社会は怖い。なぜなら、そこでは多様性が欠如しているからである。

21世紀は、自然環境と人工環境を今までとは異なった思想で再構築する時代だと思っている。リアルを代表する自然とネットなどヴァーチャルが強い人工環境を結びつける時代といっても良いかもしれない。そんな時、未曾有の大震災が発生した。実態は大変なのだが、長期的に見ると「自然環境と人工環境を今までとは異なった思想で再構築する」良い機会だということもできる。自然環境は複雑だ、自然との調和には多様な対応が必要である。「ああしても、こうならない」のである。

さて、この昆虫たち、人間世界では思いも付かないようなこの多様な形態/色彩をしている。しかし、この多様な形態/色彩は一億年以上の歴史の上にいるのだということを忘れてはならない。つまり、人間から見てどんなに奇抜でも、人間が地球上に出現する遙か以前から、環境変化や生存競争にさらされる中で、生き残ったデザインなのである。好き嫌いはともかくそんな虫を見て、その形に驚き、美を感じるのは、1億年以上の歴史の中で完成されたデザインなのだからだろう。

舞踊や武道の世界では、形が重視されていると聞く。その形は、歴史の中で無駄な部分をそぎ落とし・そぎ落とし、新たな環境にも適応して完成させたのだろう。いや完成途上にあるのだろう。つまり、長い歴史の中で淘汰され生き残った形という意味で、虫の世界を思い出すのだ。完成された形/所作が美しいと感じるのは、我々が自然に対して感じるのと似た面があるかもしれない。完成されたもののもつ美しさだ。

舞踊家や武道家には、自然の本質を知っている人が多いのではないか。「自然環境と人工環境を今までとは異なった思想で再構築する」ことを考え、実践するには、うってつけの人材だと思う。


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