2009年10月アーカイブ

鎮守の森も、雑木林も豊かな植生と生物相をもっています。しかし、植生としては、両者は全く異なるものなのです。鎮守の森は、土着の植物に覆われていることが多いのです。信仰の対象という後ろ盾に守られた森は、人による伐採を許さなかったのです。いわば、鎮守の森は、ミニチュア原始の森なのです。潜在自然植生という言葉があるそうです。潜在自然植生とは、人間活動を停止したとしたときに、その土地の自然環境条件の総和が終局的にどのような植生を支えうるかという理論的な自然植生のことをいいます。つまり、森の生態を考えた場合、これに対して、もともとその土地に合った、植物群で林を構成すると、手入れをしなくても、一定期間の生存競争を経て、立派な林に成長するという。鎮守の森は正にそんな森なのです。一般論でいえばこの潜在自然植生を見つけるのはかなり難しいのですが、日本では、鎮守の森の植物がまず間違いなくこれに相当するのだそうです。

一方、クヌギ・コナラで形作られ、豊かな自然の象徴のようにいわれている武蔵野の雑木林も、潜在自然植生は常緑のシラカシの林だったのです。二次林である雑木林は、花粉症の原因となっている杉や檜の林と同じ(昆虫など生物層の多様性は、雑木林の方がはるかに豊かなのだけれど)なのです。このような、二次林は、手入れしないと森が消滅してしまうのだそうです。

なぜ日本には自然と共生するような中間的場所があるのでしょうか。日本人は、一木一草にも魂が宿るというアニミズムに通じる観念を共有しています。自然を敵とは考えず、むしろ畏敬の念を抱いてきました。西洋の人たちが昔抱いていた「自然への恐れ」を、今もって持ち続けているともいえるでしょう。その原因として、日本の自然は多様で強いということを忘れてはいけないと思います。台風はある、地震もある。多くの災害に毎年おそわれる国なのです。また、雨が多く、一度征服したように見えても、ほっておけばたちどころのうちに、自然に戻ってしまう強さも備えているのです。自然と人工的な都会という、二つの世界を考えた時、日本では、二者択一ではなく、自然に近い場所では、自然と共生しなければ生きていけなかったのではないでしょうか。

さて、鎮守の森、里山・雑木林とは、どのような場所なのかもう少し具体的に考えてみましょう。鎮守の森は、神社にある森です。われわれは、社がありそれを取り囲むように森があるというイメージをもっています。しかし、元々は、森自体が信仰の対象となっており、社は後に造られるようになったのです。一方、里山は生活の場です。生活の場と自然との間に、薪にするための植物を植えたのです。つまり雑木林は、二次林であり、いわば畑のようなものなのです。

 

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人類文化の進化


 人類とて生物の一種であり、進化の枠組みは変わらない、といってしまっては話が進まない。
 人間は自分たちが最も進化した生物と思っているだろうが、多様性では昆虫にとてもかなわない。生物としての人間は1種類である。多様性を進化度の尺度とすれば、昆虫たちが最も進化した生物だとも考えられる。しかし、人間だって確かに進化の頂点にいる生物に見える。この疑問を養老孟司流に解答すれば、昆虫はハードウェア(形)を進化(=多様化)させ、人間はソフトウェア(脳)を進化(=多様化)させたということになる。昆虫はハードウェアを進化させ、とてつもない種類の形態を生み出した。一方、人類はソウトウェアを進化させ、さまざまな文化を生み出した。勝負はお相子である。
 さて、人類はどのように進化(=多様化)したのであろうか。昆虫が地球上に出現したのは、3億~4億年前石炭紀のことである。一方、人類の最古の祖先といわれるルーシが出現したのが、わずか300万年前である。昆虫と人類が進化の頂点にいるとすれば、人類の進化の速度は脅威的に速い。この速さの原因はどこにあるのか。単にソフトウェアとハードウェアの違いと片づける訳にはいかない。進化論のなかで私にとって最も興味深いのは「獲得形質」の継承の是非である。獲得形質というのは、生物がその生存中に得た形質、毒のある食物を一度経験すると二度と食べないとか、鍛錬により100メートルを9秒台で走ることができるようになる、というようなことである。
 現在の生物学ではこの獲得形質の継承は、否定されている。さて、獲得形質の継承ができない、もしもできたとしてもその効果が極めて少ないとすれば、あとは確率に頼る他はない。突然変異と自然淘汰に代表される進化過程のなかで、昆虫たちは、気の遠くなるような時間を使って、種の多様性を実現したのだ。
 さて人間は、いかにしてソフトウェアの多様性を手に入れたか。実は人間は獲得形質の継承に成功したのである。人間は言葉を手にし、高度なコミュニケーション手段を確立した。また、文字の発明により、極めて効率よく時間的・地域的に情報を伝達することができるようになった。ここでの主題からいえば、未来に知識を残す手段を手に入れたことに大きな意味がある。人類は子孫に知識を継承する手段を獲得したのである。
 これは獲得形質の継承の効率の飛躍的向上と捉えられよう。この獲得形質の継承システムをさらに効率よく、また人類特有の制度として実現するやりかたを、「教育」といい、その場所を「学校」と呼ぶ。人間社会では、学校での教育という形で獲得形質の継承が大量に生み出されている。突然変異と自然淘汰という進化過程に比べ、獲得形質の継承による進化のほうがはるかに効率的なことは明白である。たとえば、世代ごとに1%知識が増加したとすると、10世代1.1倍、100世代で2.7倍、1000世代では約2100倍になる。時代とともに、急速に知識が集積される様子がよくわかる。人類が出現してから300万年、文字の出現からわずか5000年、人類の文化の急激な進化は言語による獲得形質の継承がいかに有効であったかをよく物語っている。
 生物の遺伝的進化と、人類の文化の進化のアナロジーは多くの人に取り上げられている。コンラート・ローレンツは文化の発展は系統発生における種の進化とよく似ている。そして言葉により可能となった「獲得形質の遺伝」が、文化の歴史的な発達を早める要因となっていることを指摘する。利己的遺伝子で有名なリチャード・ドーキンスは、「ミーム」という自己複製子を発明する。利己的遺伝子の主張は、「あらゆる種は、その遺伝子たちの定める枠に閉じこめられ、それらの遺伝子たちが生き残る確率を最大限にするような仕方で成長し行動することを強いられる。」ということである。これと同じように、文化も仮想的な自己複製子である「ミーム」により支配されるというのである。確かに、そういわれると、生物の遺伝的進化と、人類の文化の進化のアナロジーを議論するには、うってつけの概念ではないか。「獲得形質の遺伝」というと、なにか良いことばかりのような印象があるが、文化という枠の中で歴史を刻んできた人類は、目に見えないなにかに支配されているという見方もできる。その主が「ミーム」なのである。

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生物の遺伝的進化


 地球上に昆虫が姿を現わしたのは、三億~四億年前といわれる。そして、2億5000万年前には主要な進化を終え、現存する昆虫の大部分が生存していたという。主要な進化とは、先ず飛べること。これは、両生類など昆虫の後に陸上に上がってきた生物から身を守るのに有効だったのだろう。ちょっと気付きにくいが、羽を折りたためるというのも重要な進化であった。これにより、岩の割れ目や落ち葉の下などに身を隠すことができるようになり、捕食者からの逃亡、季節の変化により有効に対処できるようになった(トンボは羽を折りたためない古い形態を保っている現存する昆虫である)のだそうだ。 
 進化の実例として、"ダーウィンフィンチ"と呼ばれるガラパゴス諸島の、小さな鳥のくちばしの形が島ごとに違うのが有名であるが、日本にもよい例がある。カラスアゲハという蝶がいる。紫色の大型のアゲハチョウで、千島列島から南は八重山諸島まで棲息する極く普通の蝶である。この普帳の蝶が、進化論に興味深い話題を提供してくれる。カラスアゲハの大きさや翅の模様が、棲息地によって少しずつ異なっているのである。特に九州から台湾の間の南西諸島では、島ごとの変化が大きくそれぞれ亜種となっている。なぜこのようなことがおこるのだろうか。一つの種が二つの種に分化するメカニズムとして最も有力なのは、次のようなプロセスである。まず一つの種が二つの群に分かれて隔離される。二つの群の間での交配による遺伝子の混合がないまま長い年月を経る。その間に、おのおのの群のなかで小さな偶然の突然変異が積み重なって、二つの群は次第に違った種へと変化していく。このような隔離と偶然性が新しい種を作る主なメカニズムだとすると、隔離される群の個体数が少ないほど、新しい種はできやすい。南西諸島のカラスアゲハがトカラ、奄美、沖縄、八重山と小さな島ごとに形態が異なっている事実は、隔離と偶然により種が形成された実例と考えることができる。
 また、自然淘汰を実感させてくれるものに「擬態」がある。食物連鎖の中で、捕食者から逃れるため、速い羽や足を持つ・穴に潜り込む・異臭を放つなど、生物達は様々な工夫を凝らす。昆虫も例外ではないが、昆虫にはもっと高等なテクニックを使うものがいる。ある種類の昆虫は体内に毒素を保有している。捕食者である鳥がそれを食べると、その苦さにすぐ吐き出し、その後はその種類の昆虫を食べなくなるといわれる。これらの昆虫は、翅の派手な模様などで、鳥などの捕食者に自分には毒があることを警告する。信じられないことに自分は毒を持っていないのにもかかわらず、毒のある昆虫の姿形・色を真似るものが現れる。これが擬態である。蜂や蟻のように他の生物から嫌われているものやゾウムシのように甲が堅く捕食者が食べにくいものなどに擬態するものもいる。このように捕食者からの防衛に有利な条件を持つ種に似せる擬態をベイツ型という。一方主として植物に姿形・色を似せ、周囲の環境にとけ込むようにするものもいる。これをカモフラージュとか隠蔽的擬態とよぶ。


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多様性


 人類は自分たちが最も進化した生物だと自認している。確かに人類は進化の最先端にいることは事実であろう。しかし、考えようによっては現存する生物は、それぞれ進化の最先端にいると考えられなくもない。進化という言葉からはなにやら「より良い」というニュアンスが伝わってくる。より良いとは、なにに対してより良いのであろうか。自分たちの子孫を残すことが「より良い」のならば、現存する生物はわれわれ人類の理解を超えたところで、「より良い」戦略を持っているのかもしれない。だからこそ、生き残れてきたのだという考えもあると思うからである。ここでは自分たちの子孫を残すことが「より良い」と考える。つまり進化の評価の基本となるものを「種の保存」に求める。生物は自分の子孫を後世に残す確率を上げるために進化すると考えてみる。したがって、生物の個々の変化に「良い」「悪い」という基準を持つのではなく、全体として、より環境変化に強く、自分の子孫を残す可能性を上げる手段を基準に進化を考えてみよう。
 生物種は、数百万種とも数千万種とも言われる程多様な種を誇っている。何故このような多数の種が必要なのだろうか?自分の子孫を残す可能性を上げるための手段としてこれをとらえてみよう。多様な環境においてニッチを探しポジションを得るためには、自分も多様でなければならないだろう。また、大きな環境変化において、自分の仲間を残すためには、危険分散のための多様化が有効であることも確かだろう。多様化が子孫を後世に残す手段として有力であり、進化の程度を示す基準の一つであることは間違いがないだろう。

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著者:加藤秀俊

出版社:中央公論社

出版年:2009


メディアの原型は聖と俗をつなぐ「霊媒」にあるとして、日本各地を訪ね、今に残る歴史を探索する。内容は高度だが楽しい本。加藤秀俊先生が楽しんでいる様子が、全編から伝わってくる。つまり、究極の「ブラタモリ」だと言ったら、加藤先生に怒られるか。知識は人生を豊にするとつくづく思い知らされる。こういう風に年を重ねたいが、浅学の私ではとても無理か。


心に残る一文:一遍をはじめとする遊行上人たちが全国でおこなったおどりと念仏は、いつしかそれを経験した民衆に鮮烈な記憶としてのこり、それを盆行事の不可欠の一部とするようになったのである。

「踊り」という身体運動をつうじて「カミ・ホトケ」とりわけ祖霊を祀り、また祖霊と交信することが可能である、という思想が「盆」行事と重なって「盆踊り」は全国いたるところでおこなわれるようになったが、この習俗はそんなにふるいものではなかった。はっきりいって、それは十三世紀のおどり念仏が直接的な契機になってうまれたものなのである。