さて、「原風景」論議はこのくらいにして、我々現代人にとっての原風景について考えてみましょう。現代人のなかでも「故郷」をもたない都会人にとって「原風景」は存在しうるのでしょうか。岩田の定義による「原風景」は、「自然」と「幼少の時代の体験」が基盤となっており、自然の少ない都会人にとって、かなり厳しい状況にあります。戦後の焼け野原や所々に残る自然で遊んだ経験のある私には、それなりの「原風景」があるのですが、たまに実家に帰っても昔の面影をとどめる風景はどこにもありません。トンボを追った小川の護岸はコンクリートで固められ、水神のあったところは住宅地となって近寄ることさえできないのです。突如「原風景」が浮かんでくるような経験をしたことは残念ながらないのです。一方、木岡のいう「原風景」は、語りにより「すり込まれた」疑似体験を通して、すべての人がもっているといえるかもしれません。
場所の情報(原風景:その5)
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