2009年7月アーカイブ


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著者:小坂井敏晶
出版社:東京大学出版会
出版年:2002

民族のことを勉強し始めた時であった書。刺激的な言葉を随所に発見して、一気に読んだ。若い人に読んでほしい書。

心の残る一文:どんな社会でも「異人」を内部に抱えている。それは彼らの存在こそが人間の同一性を生み出す源泉をなすからだ。「異人」のいない社会では人間は生きられない。もし<純粋な社会>が樹立されたとしたら、人間はどんなことをしてでも「異人」を捏造することだろう。「異人」は我々の外部にいるのではない。「異人」は人間生活にとって不可欠な存在なのである。
「異人」の消滅が不可能なのは異文化受容や同化に限界があるからではない。言語・宗教・道徳価値・家族観などを始め、どんな文化要素でも時間と共に必ず変化してゆく。民族や文化に本質はない。固定した内容としてではなく、同一化という運動により絶え間なく維持される社会現象として民族や文化を捉えなければならない。あるいはこう言ってもよいだろう。もし文化と時代を超えて人間存在を貫く本質があるとすれば、それはまさしく、本質と呼ぶべき内容が人間には備わっていないということに他ならない、と。(191頁)
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著者:梅棹忠夫
中公叢書
出版社:中央公論社
出版年:1989

情報の文明学の姉妹編。これも、多大な影響を受けた書。様々な角度からの情報に関する記述がある。こちらの方が、気楽に読めるかも。

心に残る一文:
人間は情報を創造できるといったけれども、人間の個人は情報のすべてを独力で創造できるわけはない。言語や、概念や、イメージはたぶんに社会的なものであり、個人はその成長の過程において、それらを一つずつ学習して見につけていくのである。それらは個人にとって、与えられたるもの、あるいは予件である。それは言葉のもとの意味でのデータである。われわれはそのデータを組み合わせることによって、情報をつくりだしているのである。もし、独創性というものが本当にあるとすれば、それはデータそのものにあるのではなくて、それらのデーダの組み合わせ方、あるいは配列の仕方にあるといわなければならない。情報のオリジナリティというのは、結局、アレンジメントのパターンの中に存在するのである。(12頁)

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最近、オーディオブックに、はまりつつある。今日は、「銀河鉄道の夜」を聴きながら、笹子峠で虫採り。旧道を上ると車一台がやっと通れる狭い隧道がある。ここを越えると、銀河鉄道の駅かなとか、千と千尋の世界かなとか。イメージがふくらんで楽しい。
場所と物語の関係を深めると新しい世界が広がるかも。

umesao1.jpgのサムネール画像
著者:梅棹忠夫
中公叢書
出版社:中央公論社
出版年:1988

私の情報に関する原点の書。出版は、1988年だが、1963年頃からの累積だという。今読んでも全く古く感じない。梅棹さんの先見性に驚くばかりである。(1999年に再発刊されている。)

心に残る一文:
情報はすでに一つの環境である。環境と生物との相互作業をとらえるのが生態学(エコロジー)の仕事であるとすれば、人間と、環境としての情報の関係を捕らえるのは、情報生態学の問題である。情報は、生態学の観点から捕らえ直す必要があるだろう。(206頁)

岩田慶治によれば、原風景は、「図の部分:ミクロコスモスとしての自然の思い出、そこで幼時をともにした小さな生き物たち。地の部分:背景となる山や川、それも概念ではなく具体的に名前がわかるあの山、かの森、の組み合わせになっている。そして、その二つを結びつけ、そこに生きた画面を構成している驚き,恐れ、不思議、あるいは神秘感の存在が不可欠である。」という[]。そのルーツはほとんどの場合子供の頃に構築されたものであるといいます。そして、後年それに新しい経験も追加されて再構成されるのだというのです。

一方、木岡伸夫は、「生きられる風景は、次の三つの層から構成される。

 (1)沈黙のうちに生きられる「基本風景」

 (2)語られ表現される「原風景」

 (3)傑出した個性によって創出される「文化的表現」」といいます。

風景全般に関する考察は別の機会に行うとして、ここでは、木岡の「原風景」に関する考えを紹介します。

木岡は、原風景について、「基本風景は沈黙のうちに日々生きられる。しかしその個人的な知覚の図式には、すでに何ほどか共同的な規範の影が射している。社会から独立した個人、歴史を超越した現在は、いずれも理論的仮説に過ぎない。ここでわれわれは、基本風景が必然的に社会的起源の風景経験に合流するという事実を正視しなければならない。基本風景を沈黙の深みから引き出し、それに意味の輪郭を与えるのは、言葉のはたらき、<語り>の力である。語りによって個人から集団の水準へと移行した風景の構造契機が、「原風景」 である。」と述べています。


 これは、電話というメディアを使う手法の大きな変化です。われわれ戦中派の世代は、電話がない時代から、電話が鳴ると何か良くない知らせではと考える時代、女房や子供の長話にいらいらする時代、一人一人が電話をもつ時代などを経てきたわけですが、電話が鳴っても出なくて良いという社会的行動は、ある意味ではメディアとしての電話にとって最も根本的な変化といえるのではないでしょうか。


tamamushi.jpgタマムシといえぱ、この写真のタマムシ(別名ヤマトタマムシ)しか思い浮かばないが、その仲間は結構多い。世界で、約一万五千種、日本にも約二百種棲息している。
法隆寺の大宝蔵殿に、高さ二百二十六センチの玉虫厨子と呼ばれる厨子がある。飛鳥時代の厨子だそうだが、檜造りで、外面は黒漆塗り。縁に貼った透彫の金具の下にタマムシ(ヤマトタマムシ)の羽を敷いてあることから、この名がある。その数約二千六百匹だそうである。
この玉虫厨子の復元が、日本麟翅学会の人々を中心にして昭和35年に行われた。集まったヤマトタマムシが一万五千、そのうちの約五千三百匹を用いて復元されたそうである。しかし出来上がりの評判は必ずしも良くなかった。あまりにもきらびやかで、けばけばしい印象をあたえたようである。東南アジアやブラジルに行くとみやげ物に蝶の羽を敷き詰めた飾りものを売っているが、あんな感じがあったのかもしれない。
最近では、あのファーブル先生(ジャン=アンリ・ファーブル)を曾祖父にもつ前衛芸術家のヤン・ファーブルが、全身を無数のコガネムシで覆ったオブジェ(「昇りゆく天使たちの壁」など)をつくっている。彼はファーブル先生の影響を受け、その作品の多くに昆虫(特に甲虫)から誘発されたイメージを用いている。それはファーブル先生の記述より見いだした「青の時間(夜行性の動物が眠りにつき、昼行性の動物が目を覚ます時に現れる深い静寂の時間)」からの生と死との間というイメージ、そして昆虫の卵・幼虫・成虫へと劇的に変化する生態からのメタモルフォーゼというイメージなどである。このオブジェにしても、美しいと感じるか、それともグロテスクと感じるかは個人の感覚 であろうが、作者のヤン・ファーブルは、甲虫に対する深い思いと明確な意図を持って制作しているのである。
玉虫厨子をつくった作者がどのようなことを意図したのか、また、当時の時代背景はどうだったのか。現在残っている昔の建物の多くは、建設当時は相当派手な色彩のものが多かったようだから、玉虫厨子が特に派手なものであったというわけではないのだろう。人は、現在生きている環境で得た感覚でものを見る。確かに復元という作業は、いろいろなことをわれわれに教えてくれる。ちなみに復元された玉虫厨子は、大阪高島屋にある高島屋資料館に現在でも陳列されている。

5:サービス

 では具体的にどんなサービスが考えられるだろう。地域という切り口で、いわゆる全国と異なるのは、どんなところなのか。基本は、「ヴァーチャルとリアルの接近」である。つまりヴァーチャルの世界で得た情報が、リアル世界において身近に存在するということである。ちょっとした助けがほしい・ペットがいなくなった・特売があるなどのヴァーチャルの世界で得た情報とリアルな自分の世界が直結するのだ。そのようなことを端的に表すため、「マイクロ」という言葉を頭につけてみた。マスサービスではなく、個人を対象としてサービスという意味である。

では思いつきながら、具体例を少し示してみよう。

 

●マイクロサイネージ

電子回覧板:住民の誰もが出せる地域限定機能付き広告サービス

(迷いイヌ、手伝い募集、特売情報・・・・・・)

勿論商店の特売などの情報を得ることも出来る

●マイクロモビリティ

 ・宅急便のような公共移動サービス

  (簡単な操作で、自宅まで迎えが来る)

 ・自宅まで来るのが重要

●マイクロセンシング

 ・センサー情報を住民の携帯機から自動発信可能とするシステム

  (危険情報・渋滞情報・気候情報など)

  ・全員参加型環境情報取得システム

●マイクロシェアリング

 ・常には必要でないもののシェアを容易に実現するシステム

  (車、自転車、大工道具、仕事?)

  ・社会企業としての可能性は?

●マイクロヘルピング

 ・近所付き合いを助けるシステム

  (情報機器など使用法、故障修理、緊急時・・)

 ・下町文化の再現

●マイクロブロードキャスティング

 ・誰でも放送局

●マイクロインフォメーションサービス

 ・移動体の到着時間発信

  (バス、ゴミ収集車、宅急便・・・)

●マイクロ回覧板サービス

 ・町会機能の強化

  (町会会議、掲示板、回覧、)

●マイクロクラウドサービス

 ・個人・家庭を対象とした情報管理・ソリューション提供

  (家計簿、家毎の環境評価・分析)

 ・セキュリティ確保が重要、

kuwagata.jpg クワガタムシは子どもの人気者である。大型であること、形がおもしろいことなどがその理由であろう。クワガタムシの中でもオオクワガタは、ミリ単位で大きさが競われ、大きいものは10万円以上の値が付く。昆虫産業として立派になり立っている。ミヤマクワガタは、そんなに珍しくはない。けれども、その形はわが国のクワガタムシの中ではもっとも威厳に満ちている(と私は思う)。この作品では、テジタルフォトコラージュの強みを活かし、その姿をより強く表現することを試みた。
「写真は死んだ」と言う人がいる。かつて「絵画」は写真の出現により一度死んだのである。写真が出現する前の絵画は、映像を記録するという役割が大きかった。貴族などの階級における肖像画家の地位は相当高かったようである。写真の出現により映像の記録という絵画の役割は終え、芸術としての価値のみが追求されるようになったのである。これと同じことが、現在写真の世界で進行しているというのである。これまで長い間、いや今でも「写真に写っていることは真実なのだ」という感覚を我々は特っている。しかし、現在の写真はコンピュータ上でいかようにも修正できる。敵機が領空を侵犯したという証拠写真を見せられても、これを鵜呑みにはできない時代になったのである。
生態写真は写真の記録性に強く依存してきた分野である。その意味では、私の作品は生態写真ではない。第一にこれは標本写真である。第二に、複数の写真の合成であり、その工程においてコンピュータ上で人工的な修正が加えられている。もしかしたら、「写真」とは呼べないのかもしれない。しかし、伝えたいことのための省略はどんな分野でもやられていることである。写真家は新しい表現手段を手に入れたと考えるべきではないだろうか。マルチメディア時代にポジションが変わるのは人間ばかりではない。写真も新しいポジションを探しているのである。

1)情報提供者からの収益モデル

ネット上に情報を送る場合にだけ料金を払い、受信側は無料という収益モデルである。電話と同じモデルといって良い。一般加入者も発信する場合には、課金される仕組みである。つまり情報を受け取る側は「無料」なのだ。気をつけなければいけないのは、インターネットの場合、電話のような「受信」がない。メールでもWEB閲覧でも「発信」といえないことはない。この区別をつける必要がある。

 

2)全員参加型モデル

道路と同様、地方自治体の住民サービスモデルである。つまり税金により運営する。これを自主参加型にする方策が必要。住民が自ら構築して地方自治体と協力して実施する住民サービスとして構築できるかがポイント。

金は出すが、口は出さない地方自治体。官はインフラ部分を担当して、上位レイヤは住民に任せるというのが基本。官の参入は難しい。どうしても保守的になる。一方で皮肉なことに機器などの「保守」にお金が出にくい。ネット時代になって、様々な情報が公開されるようになった。これからは、地域同士の競争の時代になるという視点が必要だ。

 

3)社会企業モデル

社会的問題解決をビジネスとして取り組む社会企業の視点を地域にも取り入れられないか。デパ地下に行くといつも思う「余った食料は何処に行くのだろう」。食料だけでなく、世の中には様々な無駄があるし、眠っている宝も多い。日本の若者も、このような視点での活動に興味をもち実現してほしい。ワイヤレスブロードバンドサービスは大きな味方になるだろう。

 

また、ドコモ話だけど、気象関連情報に参入らしいね。ケータイ基地局1万カ所に、花粉や紫外線センサーをつけるらしい。これ自体はおもしろいけれど、結局ドコモが抱え込むのだろうね。裸の情報は、誰でも自由に使えるようにしてくれたらおもしろいのに。そうしたって、肝はドコモが握っているので、統計などサービスとしては損しないと思うのだけれどね。
縦統合と横分業のバランスを取るようなことをドコモが率先してくれるとおもしろいのだけれど。駄目だろうね。
もう少し、言うと。ケータイなどにセンサーがついていて、そのれをネットワークが吸い取ってくれるような世界を作りたい。コンピュータやケータイには所有者もさわれない「公共空間」があり、これを利用して一人一人が、意識なしに社会貢献出来るような社会を夢見ている。

動画のドコモ」を目指すとドコモの社長が言っていると、朝日新聞に出ていた。これは、つまり新しいテレビですね。ワンセグで普通のテレビを見ることが出来る。これに加えて「Bee TV」のようなメディアが出てくるということか。

でも、それって、つまらなくない?一部の大きなメディアが一方的にコンテンツを流す構造は同じだ。「YouTube」があるじゃないか。そうなのだ、ここからレベルの高いコンテンツを生み出してほしいのだ。

我が国には、「俳句」、「和歌」の伝統がある。梅棹忠夫さんがこんなことを言っている。

日本の老人は、遊ぷ楽しみ事がいっぱいある。というのはね、日本の老人は基本的に、非常に教養があるんです。そういう教養の高さっていうのは、老後になつてやはりものを言いますね。教養っていうのは、なにもものをよく知つてるとかでなくて、人生の楽しみ方を知つてるということですね。  たとえぽ俳句をつくるなんていうのは、それこそ老人くさいような話ですけど、ちょつと言い方を換えたら、これ詩人ですからね。老人が全部詩人になつてる。驚くべきことですよ。

 

動画の世界で、俳句や和歌のような新しい世界を目指す人が出てきてほしい。多分もう存在するのだと思う。我々一般人が容易にそういうコンテンツのアクセスできるような「編集」を誰かやってくれないかな。

4:ビジネスモデル

インターネットサービスのビジネスは、「広告」が主要モデルである。このモデルを否定するわけではないが、地域という小規模なマーケットを対象とした場合の新たなビジネスモデルの構築が必要になる。

電話のように発信者個別課金の場合、「10%の顧客が80%の料金を払っているといわれていた。つまり沢山使った人が沢山お金を払う仕組みである。これに対して、「定額性」では、80%の料金を払っていた人も他の人と同じ料金となるため、そのコストをあまり使わない顧客が払っているということになる。著しい不平等が起こっている可能性がある。定額制は「スパム」の温床にもなっている。今後ブロードバンド時代が来ればこの傾向はますます顕著になろう。この点も再検討する必要がある。

地域ブロードバンドサービスは、比較的規模が小さい。ということは革新的な試みを実行しやすい環境にある。全国レベルでのサービスの真似をしても何も起こらない。地域レベルでのビジネスモデルの可能性を考えてみよう。

 もう一つの切り口は地産地消である。地域におけるワイヤレスブロードバンド事業は、この分野で活躍しなければならない。リアルな空間での「近さ」を武器に様々な試みを行いたい。鮮度の高い食料の宅配、地域にえこひいきした検索エンジン、出張修理や工事あるいは使い方指導などなど、沢山のことを試したい。そしてそのような試みをサポートできるワイヤレスブロードバンドサービスでなければならない。地域ネットは、地域内で「公平・公正」であればよい。大都市や全国レベルに対して、「公平・公正」である必要はない。

kabuto.jpgわが国の虫の王様で、子どもの良き遊び友達である。デパートにばかりいるわけではなく、ちょっと郊外に出れぱ、今でもクヌギの樹液などに集まる姿を見ることができる。雄だけにあるカブトムシの象徴である立派な角は、戦いの武器なのだそうだ。
テジタルフォトコラージュでは複数の写真の焦点のあった部分だけをコンピュータ上で合成して、全ての場所にピントの合った写真をつくる。このため、まず焦点の合う場所を変えながら多くの写真を撮影する必要がある。その際、焦点の合う場所を変える手法として、レンズのピント合わせによる方法と、レンズの焦点を固定したままで、カメラと被写体の距離を変える方法がある。レンズの焦点距離を変えながら撮影する方法では、被写体のカメラに近い部分ほど倍率が高くなる。このためこれを合成すると、遠近感のある作品になる。今回の作品では、この手法を採用している。なお、カブトムシの角を強調するために、カメラと被写体の最近距離と最遠距離の比を可能な限り大きくとって、遠近感をより強く表現している。
一方、固定焦点で撮影する方法においては焦点のあった時点では、カメラと被写体の距離が一定しているため、撮影された像の倍率が一定しており、合成した像は遠近感のない平板な感じのものになる。しかし見方を変えればこの手法で得られた像は、「遠近法」からの脱却に成功しているともいえる。固定焦点で撮影された個々の写真は、人間がものを見るときの一瞬一瞬の像であり、その一瞬一瞬の像の集合体をデジタルフォトコラージュでつくっていると考えることもできるのではないか。遠近法は、真理は一つであり、正しい視点から見れば、誰が見ても同じ像が見えるという考えから生まれたものといえよう。遠近法が発明されて以来、われわれは遠近法を用いて描かれているものを実際に見ているという錯覚に陥っているのではないか。「脳」という高性能の情報処理装置を有する人間が見ているものは、単なる幾何学的な像ではないだろう。

電話と同じように全国で同品質のインターネットサービスを受けられるようにすることが格差解消の第一歩と考える。幸い、近年ワイヤレスの世界が急激にブロードバンド化している。建設は容易になっている。道路よりブロードバンド。ブロードバンドインフラ整備は、道路建設に比べ遙かに少ない経費で可能だし、環境破壊も起こさない。

 ブロードバンドのインフラが整備された状況で、リアル世界の問題を解決できるのだろうか。可能性はあると考える。例えば、モビリティの分野でもっとも高度にシステム化されているのは、「宅急便」だろう。今は、法律上許されていないようだが、「人も運ぶ宅急便」を考えると、事業としての可能性を感じる。つまり、ICT技術で、リアルの世界の事業を効率化出来ることを示しているのが、「宅急便」だと思うのだ。重要なのは、業者側のネットワークに加え、シンプルな操作の情報通信機器の顧客側への設置である。電話という強敵を超えるのは、容易なことではない。電話より、簡単でわかりやすいインタフェイスで、これからの課程での通信インフラになるような機器を開発する必要がある。

3:地域格差とは

地域格差・デジタルデバイドについて考えてみた。今地方で一番困っているものってなんだろう。一般的には「経済経済」と叫ばれているが、別の角度から見ることは出来ないか。

 問題はリアルの世界だ。リアルの世界でもっとも大きなデバイドは、モビリティ。つまり、リアルの世界でもっとも深刻なのは、移動手段の欠如ではないか。。車社会が地方にもおよび、結果公共交通システムが崩壊した。ということは、車のない人の移動手段がなくなったということ。これはきつい。おまけに、病院や店舗経営も厳しくなり、病院が集約されたり、店舗が大型化しつつある。これは、病院や日常的な買い物をするところが遠くなってしまう人が増加するということだ。

 ヴァーチャルの世界での格差はどうか。通信手段は重要なインフラである。高速道路は、いわばリアルの世界の全国平均化手段といって良い。それはそれで、重要だが、今必要なのは地方の多様性を生かした発展である。そのためには、そのインフラである通信手段のデバイドを解消する必要がある。


akaganesaruhamushi.jpg色を出すためには、その色だけを反射して他の波長を吸収する「色素」をもつことが必要である。昆虫の多くは同じような原理で色を出しているわけなのだが、中には「構造色」という、おもしろい原理で色を出しているものがいる。シャボン玉の表面に出る虹色は構造色の典型的な例である。つまり、もっとも単純な構造色は、半透明の薄い膜の両側で光が反射して、その二つ光の干渉によって出る色である。昆虫では何層にもなった半透明の膜や構造、そしてそこに含まれる色素などにより、見る角度により複雑な変化をする色彩を示す。構造色としてはモルフォチョウの羽が有名であり、これをヒントにした繊維や車の塗料などが製品化されている。見る角度や光線によって微妙に変化するその様子は魅力的だ。蝶だけでなく甲虫にもそのような原理で美しい色彩を見せる甲虫たちがいる。「ニジイロ・・・」という名の付いた甲虫はたいがいこの原理で色を出している。