2009年6月アーカイブ

昆虫は色彩を感じるのだろうか。昆虫の鮮やかな色をみれば、色を感じないわけはないことがわかる。感じないのであれば、あのような派手な色彩で自分を飾る必然性がないと思うからである。

 昆虫の種類により異なるのだが、一般的にいえば、昆虫の視覚がとらえる光の波長は、300~600ナノメートル(ナノメートルは10億分の1メートル)で、人間の視覚に比べ100ナノメートルほど短波長側にずれている(人間は380~780ナノメートル)ことがわかっている。つまり、昆虫は人間には見ることの出来ない紫外線(紫外線:100〜400ナノメートル、紫:400~435ナノメートル、青:435~480ナノメートル、緑:500~560ナノメートル、黄:580~595ナノメートル、赤:610~750ナノメートル、赤紫:750~800ナノメートル)を見ることが出来る。人間には同じ色に見えるモンシロチョウの雄雌が、紫外線領域で全く異なった色(?)をしており、雄が容易に雌を探し出すことができるという事実は、よく知られている。また、植物の花の多くが紫外線を反射することも知られている。昆虫との共存共栄で成り立っている植物の世界で虫媒花(受粉を昆虫に頼っている花)は、さまざまな色を使って昆虫を誘う。そして、当然紫外線も使うのである。蜜のある中心だけ紫外線を反射して、誘う花があるそうだ。


インターネットの水平分業を支えるのは、「オープン」の思想である。垂直統合世界ではこの点が欠けている。オープン化について少し考えてみよう。

 

1)端末のオープン化:

インターネットでは、どの会社のコンピュータでも自由に接続できる。しかし、ケータイは、オペレータごとのケータイ器が異なり、他の会社のものは使えない。非常災害時を考えてみよう。ある会社の通信機器が崩壊したら、その会社の顧客は孤立する。ケータイオペレータから見れば当然のことと思うかもしれないが、顧客あるいは国の危機管理から考えると、大きな疑問がある。今や鉄道だってSuica一枚で、どの会社にでも乗れる。

 端末、ネットワーク機器のインタフェイスおよび認定条件を公開することによって、さまざまな機器の接続を、必要最小限の認定作業で許可出来るような世界を作れないか。

 

2)サービスのオープン化:

  これは広い意味でのソフトウェアのオープン化である。コンピュータの世界では、優秀なソフトウェアがオープンソースとして解放されており、無料で利用できる。一方、ケータイの世界では、その部分は「ブラックボックス」であり、公開されていない。このことはソフト開発者の限定を意味する。わかりやすい例を挙げれば、大学が参入できない世界なのだ。これにより、開発コストの高騰を引き起こし、それが高額な料金となって、利用者に跳ね返る。オペレータからは、「セキュリティ確保」など様々な理由が提示されるだろうが、「競争のない世界」で、その論理だけでは通らない。

 さらに進んで利用者間でアプリケーション、サービスを一定の条件で公開することを促し、アプリケーション相互の連携を促進する。つまり、もっとレイヤの高いソフトも公開するような仕組みもほしい。

 

3)知財のオープン化:

  知財についてもオープン化を考えたい。経済性の論理から、オープンの論理だけではうまくいかないのはよくわかるが、オープン化のメリットは大きい。新しい仕組みを考えたい。

 


この取り組みは、インターネットの原点である「インターネットされるネット」の再構築を意味する。現在のインターネットでは、個人的なプライベート空間から、一気に世界規模の2:通信形態の多様化

現在のワイヤレス通信サービスは、「垂直統合」形態で行われている。「垂直統合」を全否定するつもりはないが、すべてが「垂直統合」では、「少数のプレーヤによる独占的体質(これでは放送業界と変わらない)の基での限定された世界での競争」となる。電波争奪戦で象徴されるように電波免許を得たプレーヤが圧倒的に有利な立場に立つため、既得権意識も高い。インターネットで証明済みの「水平分業」の仕組みを、ワイヤレスの世界にも導入して、既存の「垂直統合」形サービスと競争させるべきである。

地域WiMAXは、「電波免許」が必要という従来の仕組みの中での多様性増大策ととらえることができる。WiFiとケータイの中間のポジションといえる。地域WiMAXが、ケータイ形態にシフトしてゆくのか、WiFiと同じように水平分業の世界を切り開くのか、その行方は、今後の我が国のワイヤレスブロードバンド事業の形態に大きく影響する。さてそのポイントは何か。

i-Phone 3GSの発売が話題だ。今後のケータイ世界はどうなるのだろう。

1:アクセス回線が高速化して、どんどんネットワークに接続するようになる。

2:大容量のメモリーが搭載され、コンピュータのように使われるようになる。

という、二つの道しかないのだろうか。第3の道は、i-Tunesかもしれないと思っている。

ケータイで、最も重要なのは、情報へのアクセサビリティだと思う。情報の見つけやすさと、それに到達するまでの時間である。ケータイでは、この時間の重要性が、デスクトップのケースより増大する。さて、この問題、アクセス回線が高速化すれば良いというわけではない。問題は、ネットにつながるまでの時間である。ということで、第2の道の可能性も残っている。自宅のコンピュータの情報を全て携帯するのだ。しかし、これはさすがに重すぎるかもしれない。

そこで、第3の道、i-Tunesである。その意味は、必要な情報だけ、事前にケータイにインストールするという仕組みだ。スケジュールにあわせ、必要な情報を、毎日、ネットと自分のコンピュータから、ケータイにインストールするのだ。i-Tunesの特徴は、携帯機とネットの総合システムである。この仕組みを音楽だけで使うのはもったいない。

利用者は、寝る前にネットにつなぐと出かけるときには、必要な情報がケータイに入っている。外出すれば、想定外のことも起こる。その場合はネットにつなぐという手段が残っている。

この取り組みは、インターネットの原点である「インターネットされるネット」の再構築を意味する。現在のインターネットでは、個人的なプライベート空間から、一気に世界規模の空間に接続される。言い換えれば、インターネットされるネットが存在しない場合が多い。このことが、現在のインターネットに様々な問題を引き起こしている。リアルとヴァーチャルの距離が近い地域ネットを再構築することは、インターネット本来の理想を実現することにも通じる可能性がある。言い換えれば、インターネット本来の理想の実現を可能とするようなアーキテクチャや機能を有する「インターネットされるネット」としての地域ネットの実現を目指すのだ。

このように、「地域という限定された空間において、新しい社会システムを構築・実施することにより、安心安全の確保・デジタルデバイド・高齢者問題など直面する課題を解決して、地球規模の問題解決への突破口とする」ことをワイヤレスブロードバンドシステムでサポートできないか。


1:将来の地域社会を支えるICTとは
 インターネットの原点は、「相互扶助」にある。オープンで公平なネットワークに一人一人が参加、応分の責任を負い、また、利益を得る。そして、ネットをつなぐネットであるインターネットの核には、生活に密着した地域ネットがある。我々は、近年「ワイヤレス」という手段を手に入れた。それは、インターネットを、「線から面」へ、拡張する。我が国では、既にケータイが普及し、屋外にいるほとんどすべての人が、それを所持している。基盤は確立している。
ワイヤレスは、いつでもどこでもネットへのアクセスを可能にする(ネットへの出入り口の遍在)。また、地域という空間は、ネットでの情報と実生活の関係が深い。ニューヨークでおこったことは、情報としてだけ受信されるが、住んでいる地域での出来事は、実際に駆けつけることが出来る(リアル・ヴァーチャル間距離の接近)。このような環境で、インターネットの理想を実現したい。
それは、「オープン・公平・相互扶助」をキーワードにすべての住人が参加する地域社会である。最近、地域社会の見直しが各所で行われている。それらの多くは、限られた人たちの「ボランティア」活動に支えられている面がつよい。ここで提唱するのは、すべての住民参加であり、それを支えるのが、ワイヤレスブロードバンドシステムである。ここでは、人々は意識しなくても(もちろん意識しても良い)、地域に貢献できる。携帯する機器は、環境情報を取得して定期的にネットに送信する。写真を撮れば、プライバシーに関する情報を除いてネット自動的に送信される。つまり、住民が所有する携帯機器は、所有するものだけでものでなく、一部は公共の所有物と考える(ヴァーチャル公共空間)。このように住民の手で基盤から社会まで再構成される地域社会の仕組みは、地球規模の社会制度構築にも影響を与えると信ずる。

 この発信者優先の世界に今、異変が起こりつつあります。携帯電話での発信者番号表示が常識化したからです。最近学生に聞くと、発信者が表示されない電話はもちろんのことのこと自分のデータベースに入っていない通話には、「出ない」というものがたくさんいます。つまり、受信者が発信者を選択する時代がやってきた[1-7]のです。どうしてこのようなことが社会的に常識化してきたのでしょうか。それは、いたずら電話・おれおれ詐欺など発信者優先の世界を悪用したものが多くなり、これに対する対抗手段と位置づけられているからでしょう。発信者が表示されない電話には出ないというものの多くが、女子学生であることからもそれはうかがえます。悪貨は良貨を駆逐するといいますが、この場合は、悪貨が電話文化を変えたといえそうです。


 電話は、放送やテレビジョンのようなマスメディアの手段として発明されたものの、現在ではもっぱら二人の人が一対一で使うパーソナルメディアとして利用されています。しかし、現在の電話メディアはマスメディアと同じような性格も有しているのです。なぜなら、現在の電話は、受け手の意思が反映されにくい仕組みになっており、送り手優先という意味では、マスメディアと変わりありません。このことが、電話による「個」の生活空間への他者の介入を容易にしている面があることは否定できません。

 確かに実体としての物理的な他者の介入(訪問)は、電話の普及に伴うアポイントメントをとるという習慣により、緩和されました。しかし一方で、物理的な移動を伴わないだけアクセスが容易になり、その結果いたずら電話は論外としても、各種勧誘や深夜における電話など、「個」の生活空間へ遠慮のない侵入は、電話というメディアの問題点を浮き彫りにしています。

拉致被害者の曽我ひとみさんが帰国したときの言葉、

「皆さん、こんにちは。24年ぶりにふるさとに帰ってきました。今、私は夢を見ているようです。人の心、山、川、谷、みな美しく、温かに見えます。空も土地も木も、私にささやく『お帰りなさい、がんばってきたね。』だから私もうれしそうに、『帰ってきました。ありがとう。』と元気に話します。皆さん本当にどうもありがとうございます。」

に、忘れていた何かを思い出した人は多いでしょう。「うさぎおいしかの山、こぶな釣りしかの川」のあの故郷なのです。


 さて、聖地に付加された情報が重要なら、それを移動すれば「聖地が移動」することも夢ではありません。現にチューリンガには携帯可能な聖地としての機能があります。ところが、中沢新一も「聖地は移動しない」といいます。「聖地という場所は、この世の中にある空間でありながらこの世の空間でないような、一種の特異点みたいなものです。だから、聖地と呼ばれる所に入っていくと、ちょうど『ふしぎな国のアリス』みたいに、時間や空間などの感覚が今までの世界とはちょっと違った状況になってきます。・・[4-10]」というのです。始めに述べた「聖地の定義」のうちの「場所が特別」という要素も重要だというのです。

 このように、「聖地を移動」させるのは、容易なことではないようです。聖地を移動させたいのなら、「移動してきた聖地が自分のそばにあるような感じ」を実現するというのが目標になりそうです。そのためには、聖地を特別な場所にしている「場」の情報の獲得と、人間が感じたり理解したりできる形式での出力方法の開発が課題といえるでしょう。

 二つの聖地の定義は、「自然な場所の情報」と「人が付加し記号化された場所の情報」という二つの要素が、「場所」にあることを示しています。そしてそれは、「場所」に関する情報の一般解として拡張できると思うのです。


藤沢で始まる地域WiMAX事業に関係することになった。そこで地域とワイヤレスブロードバンドの関係を考えてみた。

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近年、格差の拡大ということがよくいわれる。その典型が、地域格差である。国際化の傾向の基、東京一点集中形経済が拡大している。地方における大規模店舗や工場も資本は東京中心であり、その収益は東京に吸収される仕組みだ。

1998年4月、NTTインターコミュニケーションセンター(ICC)で、「移動する聖地 ― テレプレゼンスワールド ―」展が開かれました。そのねらいは、「遠隔操作技術と仮想環境技術を人間の原始的な想像力や記憶、野生性と結びつけ、来るべき時代のヴィジョンを導き出す[4-5]」ことにありました。テレプレゼンスについては、別の機会に詳しく述べるとして、ここでは「聖地は移動するか?」ということを課題に考えてみたいと思います。