2009年5月アーカイブ


ここで問題となるのは、世界宗教大辞典の解釈に現れる二種類の場所です。その場所が「特別」なのか、意味が付加されたことによって「特別」になったのかという問題です。上記説明のように、この二つは一体化されていることが多いので、現実には問題にならないことが多いのです。しかし、本文では「場所の未来」として、ケータイなどのメディアを使って、場所の情報を獲得する手助けをすることを目指しています。このため、本来その場所に存在していた自然情報が重要なのか、後で人間が付加した情報がより重要なのかの判断により、扱う情報はもとより、そこに投入すべき技術が全く異なる可能性があるのです。


 多くの人々が場の力を感じる特別な場所として聖地があります。それでは、「聖地」とはどのような場所なのでしょうか。世界宗教大辞典(平凡社)によると、「信仰または伝承によって神聖視される一定の地域といい、崇拝・巡拝の対象とされるとともに、みだりに出入りすることのできない禁忌の場所でもある。聖地は大きく分けて(1)山、森、林、岩、川、樹木、泉、湖、井戸などの自然景観に関わる場所、および、(2)聖者や聖人、修行者や英雄にゆかりのある霊地、本山、墓所、という二種類の系列が考えられる。とはいっても実際は(1)の自然景観と(2)の霊地における諸建造物とが一体となって聖地空間を形成している場合が多い。[4-4]」とあります。これを本文の立場から解釈すれば「信仰または伝承によって特別な意味が付加され、それを多くの人々が認識している場所」ということができるでしょう。


ゾウムシの会の採集会にいってきた。こういう会に行くと日本人ってすごいと思う。ごく普通の人が、ゾウムシに関しては、広く深い知識を持っている。こういうことって、他の分野でも同じだと思う。まあ、オタクといえば、オタクなのだが。
オタクというと何となくマイナスイメージだよね。では、オタクとそうでない人と何が違うのか。多分、ちゃんとした生活手段をもっているかどうかだと思う。ちゃんとした社会生活を確立するためには、社会との関わりが欠かせない。人は一人では生きていけない。
もう一つ、ちゃんとした社会生活が別にあるということは、少なくとも二つの視点をもてるということだろう。複数の視点をもつことは、とても大切だと思っている。
では、オタクの対象としているものが生活手段となっている人はどうか。生活手段となっているということは、その分野で一流ってことでしょ。一流になれば、高い山に登るのと同じで、周囲が見え、多くの視点をもてるようになる