2008年11月アーカイブ

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 この世界は「色彩」に満ちあふれている。おもしろいのは、この分野は科学的要素と感覚的要素が両立していることである。
 カラーテレビジョンの色がRGB(Red,Green,Blue:赤、緑、青)の3原色から出来ていることは誰でも知っている。これは、人間の視細胞の反応が、赤、緑、青にピークがあることを利用したものである。
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北海道に行ってきた。一面の雪景色であった。しかし、知人に連れられて湧き水のある場所に行くと、すでに蕗の薹があった。雪をかき分けると次から次に出てきた。まさに、春がそこまで来ているといっているようだった。
 ツクシ、梅、桜、新緑、紅葉、四季のある日本では我々は様々な形で季節を感じることができる。その中で、昆虫も一役かっている。成虫で越冬したキタテハが早春を感じさせ、モンシロチョウが春を告げる。盛夏になれば、蝉の声が暑さをあおる。ツクツクボウシが鳴けばそろそろ夏も終わりになり、鈴虫やコオロギの鳴く秋がやってくる。

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今回の主な採集地はジャール平原である。標高千メートルを超える高地である。確かに涼しいのだろうが、なだらかな丘陵地帯が続くためか、高地という感じがしない。割合低い樹木が多く、写真屋には好都合の場所である。採集を主体にしてきた為、たいした写真が撮れていない。リタイヤ後、初めての遠征であり、技術的にもいろいろ試しているので、仕方ない面もあるのだが、あまりにもひどすぎる。ということで、ここでは腰を落ち着けて撮影をすることにした。それにしても、ゾウムシは見つからない。ビーティングすれば結構いるのだが、いくら探しても見つからない。仕方がないので、採集したものを放してみる。すると、すぐ葉の裏に隠れる。そういう習性らしい。
 ところで、ジャール高原といえば、ベトナム戦争の激戦地として有名である。なぜこんなところで、という思いするような、人の少ない平原である。
 しかし、虫を探して歩いていると至る所に奇妙で大きな窪みがあるのに気がつく。尋常な数ではない。明らかに、自然に出来たものではない。これが、米軍の落とした爆弾の跡だと聞いて、身震いがした。付近の牧歌的な風景やここの人たちの性格・生活と戦争は全く結びつかない。「サトウキビ畑」の歌に、「戦がやってきた」という歌詞があるが、全くそんな感じだったのだろう。これは何かが間違っていると、直感的に感じる。直感というのは、そう間違っていないものだと私は思っている。

嗅覚・味覚では、どうでしょうか。単純な拡張は難しそうです。臭い通信のようなことが、よくいわれますが、現実にはまだまだ難しい状況です。しかし、人工的な脳、つまり情報処理を使うと状況は少し変わります。人工的な脳とメディアとの組み合わせです。例えば、視覚の分野では可能となっているバーコードの読み込みや指紋認証などは、、人間では出来ない機能の付加と考えて良いでしょう。脳機能の拡張と捉えても良いと思います。

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スカラベという言葉を聞いた方はいるであろう。いわゆるフンコロガシである。獣の糞を球形にして運ぶことからその名がついた。実はスカラベという名前は、虫屋にとって特別な響きがある。この虫を有名にしたのは、「太陽の化身」としてこの虫を大切にし、数々の遺跡にその姿を残した古代エジプトの人々と、あのファーブル先生である。

torafu.gifこの作品を見た友人が、今度は蜂の写真を始めたのかと勘違いした。どう見てもスズメバチだが、これはトラフカミキリという甲虫である。トラフカミキリは、幼虫がクワの生木を食べるため害虫として有名である。クワの栽培が少なくなるとともに減少したが、以前は極く普通に見られたという、この身近にいる甲虫が生物の持つ不思議を我々に強く感じさせてくれる。トラフカミキリはスズメバチの仲間に擬態をしているのである。
食物連鎖の中で、捕食者から逃れるため、速い翅や脚を持つ・穴に潜り込む・異臭を放つなど、生物達は様々な工夫を凝らす。昆虫も例外ではないが、昆虫にはもっと高等なテクニックを使うものがいる。ある種類の昆虫は体内に毒素を保有している。捕食者である鳥がそれを食べると、その苦さにすぐ吐き出し、その後はその種類の昆虫を食べなくなるといわれる。これらの昆虫は、翅の派手な模様などで、鳥などの捕食者に自分には毒があることを警告する。信じられないことに自分は毒を持っていないのにもかかわらず、毒のある昆虫の姿形・色を真似るものが現れる。これが擬態である。蜂や蟻のように他の生物から嫌われているものや、ゾウムシのように甲が硬く捕食者が食べにくいものなどに擬態するものもいる。このように捕食者からの防衛に有利な条件を持つ種に似せる擬態をベイツ型という。トラフカミキリもこの型の擬態の例である。一方主として植物に姿形・色を似せ、周囲の環境にとけ込むようにするものもいる。これをカモフラージュとか隠蔽的擬態とよぶ。その姿は全く驚くばかりである。
生物と接していると、人聞のわかっていることなど自然の極く一部だということをよく感じる。特に擬態の存在はそれを強烈に思い知らされる。私にとっての無限は、自然である。

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甲虫は昆虫の中でも最も多様化したグループである。4枚の翅のうちの前翅2枚を鎧のように硬化させ身を守り、且つ後翅2枚での飛翔機能を保持するという戦略が有効だったのだろう。ゾウムシの仲聞はその甲虫の中でも成功者集団であるが、あまり人気がない。わが国最大のゾウムシであるオオゾウムシでも、3センチ前後と小型で色彩的に地味なものが多いのが原因だろうが、よく見ると多様な形態をもつ魅力的な仲間であり、種類も多い。
昆虫は、人類とともに現在の地球で最も繁栄している生物である。ではいったい何種類ぐらいの昆虫が地球上にいるかといえば、これがわからない。とにかくものすごく種類が多いことだけは確かである。名前の付いているものだけでも百万種(その内甲虫は約37万種)近い。しかも、近年の調査により、熱帯雨林で新種が次々に発見され、その数は年々増加している。最近では少なくとも一千万種はいると信じられているが、本当のことはわからない。「数知れず」いるのである。
人間は自分たちが最も進化した生物と思っているだろうが、このように多様性では昆虫にはとてもかなわない。多様性を進化の尺度とすれは、種類の多い昆虫が最も進化した生物だとも考えられる。しかし、人間だって確かに進化の頂点にいる生物に見える。生物的には一種類の人類はどんな方法で、多様性を手に入れたのだろうか。人類は「脳」の進化によって、文化や文明を多様化させたのである。つまり「昆虫はハードウェアを進化させ、とてつもない数の種を生み出した。一方人類はソウトウェアを進化させ、様々な文化・文明を生み出した」ということもできるだろう。